今昔日光街道探訪 

本日午後1時30より、日光街道今昔探訪してきました。連日の雨が午前中まで残り
参加をやめた方が何人かおりましたが、スタート時には日が差してきてホッとしました。
雨上がりの晴天で気温が急上昇した為浅草、待乳山聖天までと致しました。
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日本橋道路元標は、橋の真ん中です、命がけで見に行かないように。
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寛文12年(1672)  俳諧の道をめざして江戸へ下向。28歳。日本橋の魚問屋・小沢卜尺のもとに草鞋を脱ぐ。
老舗の佃煮屋「日本橋 鮒佐」の店先に松尾芭蕉の句碑が建てられています。ここは江戸時代小田原町と呼ばれていて魚河岸を抱える繁華街でした。1672年(寛文12年)29歳の松尾芭蕉が、伊賀上野から江戸へとやってきて8年間住んだ場所です。

松尾芭蕉は当時「桃青」と称していて、俳壇での地位を固め、1678年(延宝6年)に俳諧宗匠として独立しました。句碑にある「発句也松尾桃青宿の春」とは、その翌年の正月に宗匠としての迎春の心意気を詠み上げた。
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江戸通りと蔵前橋通りの交差点角には「浅草天文台跡」伊能忠敬は、天文暦学を学ぶため1795年(寛政7年)50歳で江戸深川に住み、19歳年下の幕府天文方高橋至時の門下に入りました。忠敬は、緯度1度の距離を知りたい、当時の浅草天文台と深川の間の緯度差とその距離も測りたいと、師の至時に相談したところ、高橋至時は、浅草と深川ではあまりにも近距離なので、当時の蝦夷(現在の北海道)の測量を勧めたのです。かくして、伊能忠敬の高齢にもかかわらず多年にわたる測量の第一歩を踏み出したのでした。
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孫連れていくには格好の場所、喜ばれそう。蔵前バンダイ本社横
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ちゃんと孫を連れたおじいちゃんがいた近所の人だろうか。  
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なつかしい、子供の頃どこの町にも蛇屋さんありましたよね。釘付けになって見たものです
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むむ、千住大橋とうり2つ、柳橋。設計者は誰だ? 
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欄干にかんざしとは流石。
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九州鹿児島→北海道自転車一人旅の22才の青年と遭遇(信号待ち)
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十思公園 伝馬町牢屋敷跡此処の 鐘突き堂の鐘は江戸「時の鐘」の9つのうちの1つ
死刑執行の合図にも使われた
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浅草は相変わらずこの調子
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by senbun | 2006-05-28 20:33 | 日光街道


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